自分の人生を誰かの責任にするのは恥ずかしい。

 僕は既婚ビアンである。
 旦那のことは愛しているけど、女の子が好きなのは別です。
 ときっぱりと言える。
 旦那とは友達であり、男である自分の投影であり、身の回りの世話をしてくれる人(え?)

 僕は自分を恥じない。既婚ビアンであることも、専業主婦であることも。
 だって自分なんだから。

 さて、LGBTであろうがなかろうが、結婚がどうあろうが人は自分を恥じるべきではない。
 と思うんだけれど。
 僕は
「自分を顧みれば?」
と思う人間がいないわけではない。
 すなわち、自分の人生を他人のせいにしてウダウダ文句言ってる人。というやつである。
 世間が。親が。恋人が。
 悪いことを他人のせいにすれば楽。でもね、歩いてきた人生は自分の「選ぶ」の連続なんだよと言いたい。
 選ぶの連続が「今」を作り、「未来」を作っていく。
 じゃあ選んだのは誰.
 選ばされた。と言うのは僕は言い訳に過ぎないと思うんだ。

 僕は子供のころ、まあ自分では「不幸すぎはしないが、普通よりはひどい」家庭だったと思う。
 父親には情は全くないし、たぶん道端で死んでいても他人のふりする。
 母親は火葬して遺骨を海に捨てるぐらいはしてやる。レベル。
 ここは僕自身「どうしようもない」部分だよね。
 どっかの胡散臭い坊主は
「子供は親を選んで生まれて来る」
なんて言うけど、坊主のたわごとだと僕は思っている。
 親に拷問死させられた子供たち、毒親で苦しんでいる人たちにそんなことを言うような坊主が何を救えるか。
 傲慢な。
 さて、この「どうしようもない部分」と言うのはあるとは思う。
 でもね。
 人生は親の物でもないし、永遠が続く物でもないの。
 必ず「選ぶ」瞬間が訪れる。
 そして決断するのは自分なの。

 そしてその決断をして出た結果に対して、ブチブチ言うのカッコ悪いと思うわけで。
 人生を自分の足で歩く。って決断したことを、自分の責任として受け止めることなんじゃないかなーと思うんだ。
 
 親の影響ってのは価値観の構成にものすごく影響してくる。
 でもね。自分は「親とは違う」んだよ。
 自分だけの価値観を構成できる。

 親に認めてもらいたい。

 それは僕もわかるんだ。親がもう「親として僕が見ても」なんだかなあ・・・だから。
 でも親は変われない。自分は変われる。

 自分があるいてきた道を、歩こうとしている道を
「誰誰がそういったから」
って誰かのせいにするのは、恥じるべきだと思うんだよね。
 それを選んだのは自分。そしてその結果がどうなろうと、自分が下した結果と言えるなら恥じることなど何もない。

 と僕は思うんだけど。

 まあ僕自身「自分じゃない誰か」になれないから、強くそう思うのかも。

 親に認められなくたって、誰に認められなくたっていいじゃない。
 自分が認められたら。
 今までの自分が認められないなら、これからの決断を「自分が下したものだ」と言えるようになればいい。
 時間は後ろ向きに流れない。前に流れているんだから。

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